大判例

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名古屋高等裁判所 昭和42年(ネ)497号 判決 1968年3月07日

控訴人(被告)

大宝タクシー株式会社

被控訴人(原告)

武井和子

主文

原判決中被控訴人の勝訴部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審との被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用および書証の認否は、左記のほか原判決事実摘示のとおりである(ただし、原判決四枚目表二―三行目に「垣内が第一車両の運行により原告和子に傷害を与えた」とあるを「および被控訴人主張の衝突事故が発生した」と訂正する)から、ここにこれを引用する。

一、控訴代理人の陳述

(一)  道路交通法第三四条第二項によれば、右折する自動車は、あらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り、かつ、交差点の中心の直近の内側を徐行しなければならない。また同法第三五条第一項によれば、自動車が交通整理の行われていない交差点に入ろうとする場合に、既に他の道路から当該交差点に入つている自動車があるときは、当該自動車の進行を妨げないようにする義務を負うものである。しかるに草刈英男は本件事故現場である交差点に西から東進して右折するに際し、交差点の中心よりも遙か西方から道路中央線をこえて斜に突進し、対向する控訴人保有自動車に向つて直進して来たのであり、しかも垣内義治の運転する右控訴人保有車が既に右交差点に進入していたにもかかわらす、右自動車に対する避譲措置をとることなく、強引に右自動車の前面を横切つて本件事故を惹起したものであつて、しかも垣内は草刈が直進して来るのを認め直ちに急停車の措置をとつたのである。かかる場合垣内としては草刈が道路交通法規に従い運行するものと信頼し直進するのは当然であり、しかも突嗟に急ブレーキをかけて、なお衝突を免れなかつたのであるから、本件事故は草刈の一方的過失に基くものというべきであつて、かかる場合にもなお垣内に過失の責を認めることは、いわゆる信頼の原則に反するものである。

(二)  控訴人の保有にかかる前記自動車は本件事故当日の四日前にブレーキの調整をしたばかりであり、構造上の欠陥も機能の障害も全く存しなかつた。

(三)  かりに本件事故につき垣内に過失が認められるとしても、前記草刈は当時酔余酩酊して自動車を運転したものであり、被控訴人は右の事実を知りながら同人の運転を措止しなかつたのみならず、草刈の自動車に同乗したのであるから、本件事故による傷害を受けたことについては被控訴人にも過失があるといわなければならない。したがつて被控訴人の損害を認めるに当つては右の過失も当然斟酌されるべきである。

二、被控訴代理人の陳述

(一)  草刈は本件事故現場において右折するに際し、方向指示器による合図をした上、法規に従つて右折を開始したのである。本件事故の原因は、草刈と垣内が互に相手の自動車の動静に対する注視義務を怠つたことにあるのであつて、草刈には控訴人主張の法規違反の事実はない。垣内は対同右折車両の動静に注意せず前力注視を怠り、既に道路中央から自己の前面近くに来ている右折車両を発見しながら、これが停車するものと軽信したこと、および徐行もせず相当の速度で進行したこと等、尽すべき注意義務を幾多怠つた過失がある。

(二)  被控訴人には控訴人の主張するような過失はない。被控訴人は草刈の自動車に同乗することを極力辞退し、行くならハイヤーで行こうと主張したが、被控訴人の勤務先の営業部長のたつての勧めに抗しきれず、やむなく同乗したのであつて、途中で草刈が運転することになつたときは降車を申し出たが、その余裕を与えられなかつた。かかる事情のもとにおいては被控訴人に過失のないことは明らかであり、また右のような注意と努力をした以上、損害の相殺はできないと解すべきである。

三、証拠として、控訴代理人は当審証人垣内義治の証言を援用した。

理由

被控訴人主張の日時、場所において被控訴人主張の自動車衝突事故が発生したこと、および控訴人が垣内義治の運転にかかる被控訴人主張の自動車を当時自己のため運行の用に供していたことは、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、当時草刈英男の運転する自動車の後部座席左側に乗車していた被控訴人は、右事故に因り頭蓋骨骨折、右頭頂部頭部血腫、左鎖骨骨折および右前額部挫創の傷害を受け、以後二箇月余入院加療を受けた事実を認めることができ、右の認定を左右すべき証拠はない。

控訴人は本件事故について控訴人および右垣内に自動車運行上の過失はなく、専ら草刈に過失があつた旨主張するので、先ずこの点について考える。〔証拠略〕を総合すると次の諸事実を認めることができる。

(一)  本件事故の際、垣内義治は名古屋市電広小路線軌道敷の存する道路を西進し、時速約四五粁で名古屋市中区新栄町七丁目一八番地先の右道路から南へ分岐する道路との、交通整理の行われていない交差点にさしかかつたが、右交差点に進入する直前において右前方約三七・八メートルの地点の東行車道からゆるやかに斜め右に進路を変えて道路中央の軌道に乗入れ、右折の合図をすることなく進行して来る草刈英男運転の自動車を発見した。

(二)  しかし垣内は、草刈の自動車は軌道上で停止するものと信じ、そのまま交差点に乗入れたところ、草刈は停止することなく軌道を斜めに横切つて垣内の進路上に進入して来たので、垣内は直ちに交差点東端から約七・一メートル西へ進行した地点において急制動の措置をとつたため、垣内の自動車は更に約七・五メートルスリツプしながら僅かに左寄りつゝ直進して停止したが、その瞬間、その左前照灯附近に、その前方を斜めに左へ走り抜けようとした草刈の自動車の左側部が接触して、本件事故となつた。

〔証拠略〕中右の認定に反する部分は当審証人垣内義治の証言に比して措信し難く、他に右の認定を左右すべき証拠はない。右事実によれば、草刈が市電軌道に乗入れた時点において、垣内としては草刈の右の行動が何を目的としてとられたものであるか判断し得ないのが当然であつて、そのまま運転を継続して交差点内に進入した行為に過失があるということはできない。けだし自動車運転者は異常事態の発生しない限り他の車両が交通法規に従つて運転されることを信頼するのでなければ自車の運転をなしえないのであつて、右の場合垣内に対し、草刈の自動車が交差点の遙か手前においてゆるやかに右折し市電軌道に乗入れたことを発見した際に、草刈が道路交通法所定の右折方法に違反して右折を開始したものと判断して、これに対応する処置をとることを期待することは全く不可能であるのみならず、自己が直進している以上、仮に草刈の車両が右折するにしても同法第三四条第二項ないし第三五条第一項に従い徐行ないし一時停止をすることを信頼して運転すれば足りるのであつて、草刈が敢て交通法規に違反し自車の前面を突破するものと予測して徐行ないし停止をなし、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務はないものと解すべきであるからである(最高裁判所昭和四一年一二月二〇日判決、最高裁刑事判例集二〇巻一〇号一二一二頁参照)。

また前記認定事実によれば、草刈がそのまゝ減速もせず軌道を斜めに横断して西行車道に突入したときに初めて事故発生を客観的に予測しうべき状況に立ち至つたというべきであり、垣内は右の時点において直ちに急制動をしたのであるから、垣内の右の行為にも過失を認めることはできない。けだし草刈の右の車道突入は自殺行為に等しく、居眠り運転でなければ酩酊運転としか考えられないのであるから、草刈が垣内の車両を目前にして正気に還つたならば急拠左に転進して衝突を避けようとしたかも知れないのであつて、このように危険が目前にせまつて、なお相手の行動を予測しえない場合には、垣内の負う注意義務は進路を変えず急停車すること以外にはあり得ないからである。なお、前記認定のとおり垣内の運転する自動車は急停車するに際し僅かに左に進路を変えたのであるが、〔証拠略〕によれば、垣内の自動車が完全に直進して停車したとしても草刈の自動車の左側後部と接触することを免れ得なかつたものと認められるから、垣内の右の僅かな進路変更が本件事故の原因となつたものと解することを得ない。

そして〔証拠略〕によれば、本件事故は草刈が道路交通法第三四条第二項の規定に違反し、交差点内に進入することなく、その遙か手前から右折を開始した挙句、交差点上を直進する車両があるときは右折車の運転者としてこれを通過させてから進行すべく徐行もしくは一時停止し、もつて事故を末然に防止すべき注意義務を負うにもかかわらずこれを怠り、垣内の自動車の前面を安全に通過しうるものと軽信して進行を継続した過失のみに基いて発生したものと認められ、また〔証拠略〕によれば、垣内の運転した自動車はトヨペツトクラウン三九年式普通乗用自動車であつて、本件事故当時は四日ほど前にブレーキの調整をしたばかりであり、他にも全く故障箇所がなかつたことを認めることができる。

以上認定したところを総合すれば、控訴人は本件事故に関し自己および運転者が自動車の運行につき注意を怠らなかつたこと、第三者に過失があつたこと、ならびに控訴人保有の自動車に構造上の欠陥または機能の障害がなかつたことを証明したものというべきであるから、控訴人は自動車損害賠償保障法第三条本文の規定による損害賠償義務を負わないことが明らかである。

したがつて控訴人が右賠償義務を負うことを前提とする被控訴人の本訴請求は、その余の争点につき判断するまでもなく理由がないから、これを棄却すべきであるにもかかわらず、原判決がこれを一部認容したのは失当であつて、本件控訴は理由がある。

よつて、原判決中被控訴人の請求を一部認容した部分を取消して右部分に対する本訴請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本重美 大和勇美)

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